大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)84号 判決 1998年1月27日

大阪市西区江戸堀一丁目九番一号

上告人

帝人製機株式会社

右代表者代表取締役

近藤高男

右訴訟代理人弁護士

野上邦五郎

杉本進介

冨永博之

東京都世田谷区用賀四丁目一〇番一号

被上告人

新キャタピラー三菱株式会社

右代表者代表取締役

佐久間甫

右当事者間の東京高等裁判所平成五年(行ケ)第一四三号審決取消請求事件について、同裁判所が平成七年一二月一三日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人野上邦五郎、同杉本進介、同冨永博之の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)

(平成八年(行ツ)第八四号 上告人 帝人製機株式会社)

上告代理人野上邦五郎、同杉本進介、同冨永博之の上告理由

第一、事件の概要

一、手続の経緯

1、特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「クローラ式車両の走行装置」とする特許第一五六二二一三号発明(以下本件発明」という。)の特許権者である。本件発明は、昭和五〇年一二月一八日にされた実願昭五〇-七一二二四号を原出願とする分割出願として、昭和五三年九月二〇日に出願された実願昭五三-一二九三五〇号がその後特許出願に変更され(特願昭六〇-九九三四八号)、この特許出願からの再分割出願である特願昭六〇-一二一五一一号から、昭和六〇年七月三日、さらに分割出願された出願(特願昭六〇-一四七三一九号)に係るものであり、昭和六三年一一月一〇日に特許出願公告され(特公昭六三-五七二四四号)、平成二年六月一二日に設定の登録がされた。被告は、平成二年九月六日、本件特許につき無効審判の請求をした。特許庁は、同請求を平成二年審判一六五一一号事件として審理したうえ、平成五年七月一四日、本件特許を無効とする旨の審決をし、同年八月四日、当該審決書謄本は原告に送達された。

2、原審における手続の経緯

原審原告(上告人)は平成五年八月二四日右審決の取消を求める訴訟を東京高等裁判所に提起した(東京高裁平成五年(行ケ)第一四三号事件)。原審は、平成七年一〇月二〇日原審を終結し、平成七年一二月一三日、「原告の請求を棄却する。」との判決をなし、当該判決書正本は平成七年一二月一五日に原告に送達された。

二、本件発明の要旨

「外方から内方に貫通する貫通孔が形成された耳金状部を有する走行フレームと、ケーシング内に挿入されたアキシャルピストン型の液圧モータおよび減速機構を介して液圧モータにより駆動されクローラシューに係合する回転輪を有し、ケーシングを貫通孔に挿入してクローラシュー幅内に位置するよう走行フレームに取付けられた液圧駆動機構と、を備え、前記液圧モータのケーシングが耳金状部に連結された連結部および前記連結部から外方に向って延在する外方ケーシング部を有し、前記回転輪が外周に歯が形成されたスプロケット歯部と、スプロケット歯部から外方に向って延在する外方円筒部と、を有し、前記回転輪のスプロケット歯部がクローラシュー幅のほぼ中央に位置するよう回転輪が軸受を介して外方ケーシシグ部に回転自在に支持され、かつ回転輪の外方円筒部が前記減速機構の出力端に連結されたことを特徴とするクローラ式車輌の走行装置。』

三、審決の要旨

審決は、別添審決書記載のとおり、特開昭四九-一〇八四七〇号公報(原審甲第三号証、以下「引用例1」といい、そこに記載されている発明を「引用例発明1」という。)及び特公昭四八-四二一三六号公報(原審甲第四号証、以下「引用例2」といい、そこに記載されている発明を「引用例発明2」という。)を引用し、本件発明は引用例発明1及び2に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、本件特許は、特許法二九条二項の規定に違反して特許されたものであって、特許法一二三条一項一号の規定に該当し、これを無効とすべきものとした。

四、原審における原告(上告人)の主張した審決取消事由

1、取消事由1(相違点1の誤認及び判断の誤り-その一)

審決は、引用例発明1の液圧モータの種類は不明であるとし(審決書7頁3~4行)、これを前提に、引用例発明1の「液圧モータ」を「アキシャルピストン型の液圧モータ」に置き換えることは、単なる周知技術の置き換えである(同7頁13~16行)と判断しているが、いずれも誤りである。

2、取消事由2(相違点1の誤認及び判断の誤り-その二)

審決は、本件発明の「ケーシング」が引用例発明1の「ハウジング」に相当する(審決書5頁13行~17行)とし、これを前提に、引用例発明1に引用例発明2の「ハウジング……内に軸方向(アキシャルと同義語である。)ピストン型の液圧モータを挿入した」点を適用することは、当業者にとって格別困難なことではないと判断した(同8頁1~7行)が、いずれも誤りである。

3、取消事由3(相違点2についての判断の誤り)

審決は、相違点2として、本件発明では、「ケーシングを貫通孔に挿入した」のに対して、引用例発明1では、液圧モータを貫通孔に挿入した点と認定し(審決書7頁6~8行)、その違いは設計的事項であるとした(同8頁1~18行)が、誤りである。

4、取消事由4(作用効果の看過)

本件発明は、引用例発明1と同様に駆動機構をクローラシユー幅内に収めるという作用効果をも奏するとともに、引用例発明1がクローラシユーと走行フレームとの間の空間が狭くなっているために、その空間からの泥土等の排土性が悪いことに鑑み、クローフシユーの半径を大きくすることなく、クローラシユーと走行フレームとの間を大きくすることにより、排土性をよくしようとしたものである。排土性をよくするという作用効果は、引用例1及び2には開示されていないのであって、本件発明の効果が引用例1及び2の奏する効果から、当業者が容易に予測できる効果ということはできないから、審決が、本件発明の効果は、各引用例記載の発明の奏する効果から、当業者が容易に予測できる程度のものと判断している(審決書8頁19行~20頁1行)のは、誤りである。

五、原判決の要旨

1、取り消し事由1について

原判決は「審決が、引用例発明1において、その駆動源としての油圧モータの種類に限定はないから、引用例発明の油圧モータとして、アキシャルピストン型油圧モータを用いることは当業者が容易に想到できることから引用例1に記載されたものにおいて、「液圧モータ」を「アキシャルピストン型の液圧モータ」に置き換えることは、単なる周知技術の置き換えであると判断したことに誤りはない」と認定している。

2、取消事由2について

原判決は「審決が、引用例発明1に、引用例発明2の「ハウジング……内に軸方向(アキシャルと同義語である。)ピストン型の液圧モータを挿入した」点を適用することは、当業者に格別困難なことではなく、本件発明の「ケーシング内に挿入されたアキシャルピストン型液圧モータを備えた」点は、当業者が容易に想到できたものと判断した(審決書8頁2~10行)ことに、誤りはないといわなければならない。」と認定している。

3、取消事由3について

原判決は「審決が相違点2につき、『貫通孔が形成された耳金状部とケーシングとを連結するのに、「ケーシングを貫通孔に挿入した」状態で両者を連結したことは、設計的事項である』(審決書8頁15~18行)としたことに、原告主張の誤りはない。」と認定している。

4、取消事由4について

原判決は「本件発明の効果は、引用例発明1に引用例発2を適用して、アキシャルピストン型液圧モータを駆動源とした本件発明の構成を採用することによって、当然に予測される効果であり、それ以上の格別の効果とはいえないことが明らかである。したがって、審決が、本件発明の効果は、各引用例発明の奏する効果から、当業者が容易に予測できる程度のものと判断した(審決書8頁19行~9頁1行)ことに、誤りはない。」と認定している。

5、以上より原判決は「原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にこれを取り消すべき暇疵は見当たらない。」と認定している。

第二、上告理由(経験則違背による特許法二九条二項の解釈の誤り)

一、原判決は、審決が本件発明は引用例発明1と引用例発明2を組合せることにより当事者が容易に発明しうるものとして、本件の発明は特許法第二九条二項の規定に違反して特許されたものであり特許法第一二三条一項一号により無効とすべきものとしたことについて誤りないと認定しているが、それは、特許法第二九条二項の解釈を誤ったものであり、原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるから破棄を免れないものである。

以下、その理由を述べる。

二、取消事由1について

1、引用例発明1の油圧モータの種類の限定

(1)原判決は、「引用例発明1は、従来装置において、減速装置を構成する油圧モータ、歯車、駆動輪が車体の巾方向に順次配列されていた構成に換えて、油圧モータの出力軸を廃止し、油圧モータ、駆動輪、遊星歯車機構の三者を同一線上に配置するとともに、駆動輪の外側に遊星歯車機構を設けた構成を採用することにより、減速装置の軸方向の長さ(巾)を著しく短縮し、履帯(本件発明のクローラシューに相当する。)の幅内に納めることができる効果を奏するものであり、引用例1には、「油圧モータ」の種類について、何らの限定、言及はされていないから、この効果は、油圧モータの種類を問わずに実現できるものとされていることは明らかである。」と認定している。

(2)しかし引用例1の発明のものは、油圧モータについて限定していることは明らかである。つまり引用例1の発明のものは、「海圧モータの出力軸を廃止し」ているものであり、何ら限定のない「油圧モータ」ではないのである。すなわち引用例発明1は、「この発明は……油圧モータの出力軸を廃止し、油圧モータ、駆動輪及び遊星歯車機構の三者を同一軸線上に配置すると共に駆動輪の外側に遊星歯車機構を設けたので、減速装置の軸方向の長さ(巾)を著しく短縮し、覆帯の巾内に納めることができる」と説明されている。ここで「出力軸を廃止」した油圧モータの回転を如何にして遊星歯車機構に伝達するのかは明らかではないが、実施例の説明には「…軸13の…外歯13aは油圧モータ4の出力部に設けた内歯4aとかみ合っている。……油圧モータ4及び遊星歯車機構11は軸13に、駆動輪5は軸13と同心のハウジング18にそれぞれ取り付けられているから、油圧モータ4、駆動輪5及び遊星歯車11の三者は順次に軸13上に配置されていることになる。この発明は上述したような構成からなり、……」と記載されている。したがって、「油圧モータの出力軸を廃止し……三者を同一軸線上に配置する」とは、実施例図面とその説明を参酌すると、油圧モータの出力部に内歯4aを設けて出力軸を廃止し、該内歯4aと遊星歯車機構11の太陽歯車12とを、軸13により連結することにより、油圧モータ4、駆動輪5、遊星歯車11の三者を順次に軸13上に配置したことを意味するものであることに疑いない。つまり、「出力軸を廃止」したのは、出力軸に換えて連結軸を用い、これにより油圧モータの回転を遊星歯車に伝達するということであり、その結果、油圧モータ、連結軸および遊星歯車の三者が順次一列に配置されるということである。さらにその結果、油圧モータ、駆動輪および遊星歯車の三者も順次に同一軸線上(つまり履帯巾方向)に配置されるということである。このような構成により「減速装置の軸方向の長さ(巾)を蓍しく短縮」できるというのであるが、油圧モータが引用例1記載の従来技術の説明図1、2にあるような細長いモータであれば、減速装置(これは、引用例1の中で説明されているように、油圧モータ、駆動輪および歯車機構の三者からなるものを意味する)の履帯巾方向の長さを従来技術との比較において短縮しえない。なぜならば、引用例1に記載の従来技術においても油圧モータ、歯車機構お  よび駆動輪の三者が履帯巾方向に順次配置されている点で引用例発明1と同じ(減速装置自体の履帯巾方向長さは前記各三者の長さの総和であり、それらの配置順序は無関係)だからである。つまり、わざわざ「出力軸を廃止」したモータには、減速装置自体の軸方向の長さを著しく短縮するという作用効果との関係上、特別の意味があるのであり、

「出力軸を廃止」した油圧モータとは、上記連結軸を挿入できるような内歯を形成できる太い出力部を有し且つ引用例1記載の従来技術に比べ減速装置自体の履帯巾方向長さを著しく短縮できる短いモータでなければならず、そのようなことが可能なのは太くて短い型の油圧モータであり、そのようなモータは技術常識から、また、実施例図面からも、明らかにラジアル型モータなのであり、細長い油圧モータは排除されているのである。また、そうでなければ、引用例発明1の目的を逹成しえないのである。ここに説明した「油圧モータの出力軸を廃止し……三者を同一線上に配置する」の意味は、引用例発明1の出願を変更出願した際に補正した明細書の効果の記載部分(1)~(3)からも明らかである。しかも引用例1の発明を示す第3図には明らかに太くて短い油圧モータを用いているのであり、細長い油圧モータを用いた場合には、減速装置を履帯の幅内に納めることは困難である。そして、引用例1には、右に示す太くて短い油圧モータのみが示されているのであって、他の構成の油圧モータは一切開示されていないのである。このことから言っても、引用例1において、油圧モータの種類を問わずにすべての種類の油圧モータが用いられる構成が示されているとは考え難いのである。

2、アキシャル型モータを含むかについて

(1)原判決は、「そして、昭和42年2月発行の『油圧制御』(こ第3号証の1~3)には、油圧の動力を機械的な動力に変換するために油圧モータが用いられること(同号証の2、59頁本文1~2行)、油圧モータには多くの種類があり、プランジャモータとしてアキシャル型、ラジアル型があること(同60~62頁、図3.1~図3.5及びその説明)が記載されており、これによれば、これらの油圧モータが、引用例発明1の出願前、周知のものであったことが認められるから、引用例発明1の「油圧モータ」は、これらのものを含むといわなければならない。」と認定している。

(2)しかし、引用例1の発明のものは、前述したように、わざわざ「油圧モータの出力軸を廃止し」

ているものであり、その意味するところは、目的、作用効果との関係上、出力軸を廃止する代わりに、連結軸を挿入できるような内歯を形成できる太い出力部を有し、引用例1記載の従来技術に比べ減速装置自体の履帯巾方向長さを著しく短縮できる短いモータ、つまり太くて短い型の油圧モータを用いるということである。しかも、引用例1には第3図に示されるような太くて短い油圧モータのみしか開示されていないのであるから、油圧モータとしてアキシャル型、ラジアル型が周知であるとしても、引用例発明1の油圧モータが細くて長い油圧モータ(アキシャル型油圧モータ)を含むとは考え難いところである。

3、太くて短い形の油圧モータは必須の構成ではないとの認定について

(1)又原判決は「もっとも、引用例1の従来装置を図示した第1図、第2図には、履帯から車体の中心側にはみ出した細長い形の油圧モータ4が記載され、引用例発明1を図示した第3図には、履帯の幅内に収まった太くて短い形の油圧モータ4が記載されており、引用例発明1の構成を採用して減速装置の軸方向の長さ(巾)を短縮するためには、細長い形の油圧モータよりも、太くて短い形の油圧モータの方が、より効果的であることは明らかであるが、上記のとおり、引用例発明1において、太くて短い形の油圧モータを採用することは必須の構成ではないのであるから、第3図に示すものは、その一実施例にすぎないというべきである。」と認定している。

(2)しかし特許法第二九条二項の公知例の発明は、具体的構成が示された発明であり、単に抽象的に表現されているだけではたりないものである。従って「特許請求の範囲」に包括的なものとして包含されているような記載があっても、その具体的構成が示されておらず、その具体的構成が他の具体的構成から自明なものであればともかく、自明でない場合には具体的構成が引用例に示されているということはできないはずである。「特許請求の範囲」に含まれる発明かどうかということは、特許法三九条の先後願における発明の同一性の問題であり、特許法二九条一項の発明の同一性の問題ではないはずである。原判決は特許法第三九条(先後願)における発明の同一性の判断と特許法第二九条二項に規定される同条一項(新規性)の発明の同一性を混同しているものである。

4、引用例1の変更出願の際の補正について

(1)又原判決は、「引用例1の特許出願が、出願公開後、実用新案登録出願へ変更され、その際、「油圧モータ」が「ラジアルボールピストン式油圧モータ」と補正されたこと(甲第7号証)は、原明細書及び図面の要旨を変更しない補正であれば許されるところであり、この補正が認められたことが上記認定を左右するものでないことは明らかである。」と認定している。

(2)しかし、引用例1の特許出願が出願変更の際に「油圧モータ」を「ラジアルボールピストン式油圧モータ」と補正して、その補正が認められているのは、引例1の第3図の「油圧モータ」が「ラジアルボールピストン式油圧モータ」であることを示しているからである。そして引用何1には、それ以外の油圧モータについては一切記載されていないのであり、しかも、ラジアルボールピストン式油圧モータのように太くて短い油圧モータでなければ減速装置自体の履帯巾方向長さを引用例1記載の従来のものよりも著しく短くしてこれを履帯幅内におさめるということは困難であることを考え合わせると、引例1の中に太くて短い油圧モータ以外に細くて長い油圧モータも含まれていると考えることは極めて困難なことである。

5、液圧モータの種類が不明であることについて

(1)又原判決は、「以上の事実によれば、審決が、引用例発明1の『液圧モータの種類は不明であり』と認定したことに誤りはない。」としている。

(2)しかし引用例1の中には、原判決も認めているように「ラジアルピストン式油圧モータ」が記載されているのであり(引用例1の特許出願の変更出願の際の補正で、「油モータ」を「ラジアルピストン型油圧モータ」に補正したことが認められている点から原判決もこの事実を認めている。)、そのことだけから考えても、「液圧モータの種類が不明であ」るということはありえないはずである。種類が不明というのは種類が何なのかわからないということであるが、引用例1の中には「ラジアルピストン式油圧手モータ」が示されているから、引用例1の油圧モータの種類が何なのかわからないということはありえないことである。

6、引用例1の油圧モータとしてアキシャルピストン型液圧モータを用いること

(1)又原判決は、「クローラ式車両の液圧駆動装置にアキシャルピストン型液圧モータを用いることが、本件出願前、周知の事実であったことは、当事者間に争いがない。そして、上記のとおり、クローラ式走行装置を有する油圧ショベル及びクレーンに使用される油圧モータ付き減速装置に係る引用例発明1において、その駆動源としての油圧モータの種類に限定はないのであるから、引用例発明1の油圧モータとして、アキシャルピストン型液圧モータを用いることは、当業者が容易に想到できることといわなければならない。」と認定している。

(2)しかし引用例1の油圧モータは、これまで述べて来た通り、太くて短い油圧モータであり、引用例1の油圧モータは、それまで用いられていた細くて長い油圧モータであれば履帯の幅内に減速装置がおさまらないことから、太くて短い油圧モータを用いたのであって、このような引用例1の発明の油圧モータに、従来用いて欠点のあった細長い油圧モータを用いること自体当業者が容易に考え得るものでないことは明白なことであって、原判決は、特許法第二九条二項の解釈を誤ったものである。

7、特許請求の範囲に記載の発明と進歩性判断にいう公知発明

(1)原判決は「引用例発明1がその油圧モータとして太くて短い形のラジアルピストン型液圧モータを用いることを必須の構成としていないことは前記の通りであり、引用例発明1を実施するに当たり、細長い形のアキシャルピストン型液圧モータを用いた場合にも、クローラシューの幅との関係で、駆動機構をクローラシューの幅内に収めることができるように各部品の形状を調整すれば、所定の目的を逹成できると認められ、また、仮に細長い形のアキシャルピストン型液圧モータを用いた場合には、駆動機構をクローラシューの幅内に収めることができないのであれば、これに換えて、周知の太くて短い形のラジアルピストン型液圧モータを用いれば足りることであり、この程度のことは、引用例1に接した当業者であれば容易に考えることと認められる。」と認定している。

(2)しかし、特許法第二九条二項の公知例としての引用例に示されるべき技術は、具体的技術であり、「特許請求の範囲」に記載されるような抽象的で包括的な概念としての技術ではなく、実施可能な技術でなければならないはずである。特に引用例1は「公開公報」であり、特許庁の審査官の審査を経ているわけではないのであるから「特許請求の範囲」に記載される発明と称されるものも明細書の「発明の詳細な説明」に基礎をおいたもの(あるいは要旨を適格に記載したもの)といえるわけではないのであるから、引用例1の公報の明細書中に記載されている発明に限定せず「特許請求の範囲」に記載されている発明に広げて、そこに記載されている包括的な技術が引用例1の中に記載されているとは考えられないことである。

三、取消事由2について

1、ハウジングとケーシング

(1)原判決は、「引用例1(甲第3号証)において使用されている「ハウジング」と本件明細書(甲第2号証)において使用されている「ケーシング」とは機械用語として共通の意味を有していることが明らかである。そして、引用例1には、その特許の請求の範囲においても、「油圧モータのハウジング」(甲第3号証1頁左下欄6行)、「油圧モータ4のハウジング18」(同2頁左下欄12~13行)と記載されているから、引用例発明1におけるハウジングは、油圧モータを囲んで、これを保護収納する部品を意味すると解され、また、「障害物による油圧モータの損傷が防止される」(同2頁右上欄19~20行)との引用例発明1の効果をより良く発揮させるためには、油圧モータを保護するためハウジング内に収納するという周知の手段を採用することが望ましいことはいうまでもない。このように油圧モータをハウジング内に収納する態様を採用したとしても、引用例発明1の構成が実現できない理由は見当らない。したがって、引用例発明1は、その油圧モータをハウジング内に全体として収納した態様を含むものであり、これを排除するものではないといわなければならない。上記説示に照らし引用例発明1が、この態様に限定されるものとは認められず、本件発明のケーシングと引用例発明1のハウジングが、その機能、作用効果を異にするということはできない。」と認定している。

(2)しかし、引用例発明1の記載である「油圧モータの出力軸を廃止し……三者を同一線上に配置する」について先に説明したように、引用例発明1は、クローラ巾内に減速装置を納めるために、太くて短い油圧モータ(ラジアル型モータ)を用いることによりその太い出力部に内歯4aを設けて出力軸を廃止することを可能とし、該内歯4aと遊星歯車機構11の太陽歯車12とを、軸13により連結することにより、油圧モータ4、駆動輪5、遊星歯車11の三者を順次に軸13上に配置したものである。したがって、引用例発明1のハウジング18は出力軸18を囲周すると共に、油圧モータ4と遊星歯車機構11とを連結する目的のものであるのに対し、本件発明のケーシングにはそのような機能や作用はない。したがって、両者がその機能、作用効果を異にするものであることは明らかであり、また、引用例発明1の八ウジングが本件発明のハウジングのように液圧モータの収納を目的としないものであることも明らかである。

2、クローラ式車輌にタイヤ式トラクターの駆動装置を用いることについて

(1)又原判決は、「引用例発明2の油圧前輪駆動装置はトラクタ用のものであって、クローラ式車両に用いられる本件発明及び引用例発明1とは、同じ作業用車両の分野に属する発明であることは明らかであり、駆動機構として駆動輪に回転力を与える点においては同じであるから、その接地手段がタイヤであるかクローラシューであるかは、駆動機構に関し本質的な差異ではないと認められ、引用例発明1に引用例発明2を適用する妨げにはならないというべきである。」と認定している。

(2)しかし、同じ作業用車輌の分野に属する発明であるといっても、タイヤ式トラクターの駆動装置とクローラ式車輌の駆動装置とはまったく別物である。特に本件特許発明は、クローラ式車輌が泥土等の中を走行するためにクローラ(回転エンドレスベルト)の泥土等搬送作用によりクローラシューに乗り上げた泥土等が走行フレームのクローラ走行方向一端部(耳金状部)とクローラシューとの間に次々と送り込まれる場合における走行フレームの耳金状部とクローラシューとの間からの泥土等の排出性を良くするためのものであるところから考えても、タイヤ式車輌の駆動装置とクローラ式車輌の駆動装置とでは、まったく別物といわざるを得ず、本件発明の目的である走行フセームとクローラシューの間に次々に送り込まれてくる泥土等の排出性を良くするような要請は、タイヤ式トラクターの駆動装置にはまったく存在しないのである。このことから考えてもタイヤ式車輌の駆動装置とクローラ式車輌の駆動装置とは本件発明に関しては本質的な差異があるものであり、このような引用例1と引用例2の発明を組合せることは当業者が容易に考えつくものではないのである。

3、クローラ式車輌とタイヤ式トラクターのちがい

(1)又原判決は「引用例2が適用されるトラクタが、一般に土木工事や農作業に使用されるものであって、本件発明や引用例1のクローラ型の作業車と同様に、その駆動機構が泥土の侵入や岩石などの障害物との衝突による損傷を避ける必要があることは、当裁判所においても顕著な事実であるから、引用例発明2においても、これらの損傷を避けるための保護手段として、油圧モータを周知の保護手段であるハウジングに挿入し、油圧モータを含む駆動装置を車輪の幅内に収めているものと認められ、この点において、この構成を採用した理由は、本件発明や引用例発明1と変わるところはなく、このことは、当業者にとって明らかに理解できることと認められる。したがって、審決が、引用例発明1に、引用例発明2の「ハウジング……内に軸方向(アキシャルと同義語である。)ピストン型の液圧モータを挿入した」点を適用することは、当業者に格別困難なことではなく、本件発明の「ケーシング内に挿入されたアキシャルピストン型液圧モータを備えた」点は、当業者が容易に想到できたものと判断した(審決書8頁2~10行)ことに、誤りは無いといわなければならない。」と認定している。

(2)しかし本件発明は判決がいう泥土の侵入を避けることを目的とはしていない。本件発明は、引用例1の第三図のように構成されたクローラ走行装置に鑑み、搬送装置のように機能するクローラに乗り上げる泥土等が、そのクローラによって搬送され、その行き止まり部(クローラの折り返し部)にある走行フレームとクローラシューとの間の空間に次から次へと送りこまれてもその泥土等が上記空間を通ってうまく排出されて溜り込まないようにすることを目的としているのである。また、タイヤ式車輌においては、タイヤに泥土等が乗り上げて、走行フレームとタイヤとの間、あるいは走行フレーム、タイヤ、油圧モータの三者のいずれか二者の間に次々に送り込まれるということはありえないのであるから、本件発明にいう排土性が問題となることはありえないことである。したがって、タイヤ式トラクタにしても、クローラ式車輌にしても、本件にいう排土性を必要とするということが本件出願前に裁判所に顕著な事実であったということもありえないことである。

四、取消事由3について

(1)原判決は「本件発明のケーシング内に挿入されたアキシャルピストン型液圧モータを備えた」点は、当業者が容易に想到できたものであり、引用例1及び2には、油圧モータ、駆動輪及び遊星歯車機構の三者を同一軸線上に配置するとともに、駆動輪の外側に遊星歯車機構を設け、これらからなる駆動機構をクローラシユー若しくは車輪の幅内に収めた構成が開示されている。そして、審決が述べるとおり、「二部材を連結するのに、一方の部材に貫通孔を設け、他方の部材を該貫通孔に挿入した状態で両者を連結することは、例示するまでもなく周知の技術である」との点は、当裁判所にも顕蓍な事実であり、引用例1の図面第3図には、貫通孔が設けられている車体フレームの内側(同図左側)に油圧モータを配置し、その外側(同図右側)にハウジングが配置されている実施例が図示されているから、上起引用例1及び2の開示に従って、油圧モータを含む駆動機構をハウジングに収納し、これを貫通孔に挿入し、液圧駆動装置がクローラシューの幅内に位置するよう走行フレームに取り付けて、本件発明の構成とすることは、当業者の容易に採用できる事項と認められる。したがって、審決が相違点2につき、「貫通孔が形成された耳金状部とケーシングとを連結するのに、『ケーシングを貫通孔に挿入した』状態で両者を連結したことは、設計的事項である(審決書8頁15~18行)としたことに、原告主張の誤りはない。」と認定している。

(2)この判決事項についても、上記したように前提判断としての、引用例発明1のハウジングと本件発明のケーシングとの機能、作用効果の異同についての誤認があり、この誤った前提から導かれた判断もこれまた誤りである。また、「設計的事項」とは作用効果に差異がない場合をいうのであって、引用例1、2と本件発明とでは排土性の点で全く異なるのであるから、この点から見ても、「設計的事項」とはいえないはずである。

五、取消事由4について

(1)原判決は「本件明細書(甲第2号証)には、本件発明の効果として、『走行フレームの全体の大きさを小にして走行フレームとクローラシューとの間の空間を大きくでき、この空間を通る泥土等の排土性を良好にすることができる。このため、スプロケット歯部のピツチ円を大きくする必要がなく、クローラ式車両の推進力が低下することもない。」(同号証14欄40行~15欄2行)と記載されている。この記載によれば、泥土等の排土性を良好にし、スプロケット歯部のピツチ円を大きくする必要がなく、クローラ式車両の推進力が低下することもないとの効果は、走行フレームとクローラシューとの間の空間を大きくしたことの結果と認められる。

そして、上記記載と本件発明の図面を引用例1の図面と対比してみると、走行フレームとクローラシユーとの間の空間を大きくできるとの効果は、引用例1の図面第3図に示されている半径が大きい形の油圧モータに換えて、本件発明の図面第1図、第2図に示される細長い形のアキシャルピストン型液圧モータを用いることにより、走行フレームの耳金状部に設けられる貫通孔の直径をより小さくすることができ、その結果、この耳金状部の下部とクローラシユーとの間の距離が大きくなることに基づく効果といわなければならない。また、このようにすれば、走行フレームの全体の大きさを小にすることも明らかである。そうすると、本件発明の効果は、引用例発明1に引用例発明2を適用して、アキシャルピストン型油圧モータを駆動源とした本件発明の構成を採用することによって、当然に予測される効果であり、それ以上の格別の効果とはいえないことが明らかである。」と認定している。

(2)しかし、引用例1は、先に述べたように、わざわざモータの出力軸を廃し、モータと遊星歯車装置とを連結軸で連結するものであり、モータの出力軸を廃するために出力部に十分内歯を形成できる太くて短い油圧モータ(ラジアルモータ)を用い、これにより、減速装置全体をクローラ巾内に納めるというものであり、また、引用例1が、減速装置全体をクローラ巾内に納めるという目的に対し、その従来例の説明図としてクローラ走行用としては圧倒的多数で用いられている細長いモータ(アキシャル型)を記載し(図1、2)、当該発明のベストモードたる実施例の説明図ではクローラ走行用にはあまり用いられていなかった太くて短いモータをあえて記載していることからも明らかである。

つまりり、判決は引用例1の太くて短いモータに換えて細長いアキシャルモータを用いれば、耳金状部の下部とクローラシューとの間の距離が大きくなるというのであるが、上記の通り引用例1はクローラ巾内に減速装置を納めるという目的のために、太くて短いモータを用いるというものであることは明らかであり、その目的に逆行するような細長いモータを用いるというようなことは、本件発明のような課題(排土性を良くする)がない限り、するはずばないし、引用例1には、本件発明のそのような課題について示唆すらないのである。したがって、引用例1には、そのモータをアキシャル型に換えることについて、これを妨げる合理的理由がある。また、引用例2はタイヤ走行装置に係わるものであり、先にも述べたようにタイヤ走行車両は、クローラ走行式のようにクローラに乗り上げる泥土等が搬送コンベヤのように機能するクローラによって走行フレームの耳金状部とクローラシューとの間に連続的に送り込まれ、その行き止まり先(クローラの折り返し部)で溜まり込み圧縮されて行くという現象がないのであるから、仮にクローラ車両のように過酷な荒れ地等で使用され、走行フレームとタイヤの間、あるいは走行フレム、タイヤ、油圧モータの三者のいずれか二者の間に泥土が侵入しても、それが圧縮され溜まり込むということはないのであるから排土性は問題とならない。また、引用例2には、そのような排土性についての記載も示唆もない。このように、引用例、2には何ら本件発明の効果を予測させるものはない。加うるに、いずれの当業者もクローラ走行装置とタイヤ走行装置とでは、その駆動機構が全く異なる形で(タイヤ式については、引用例2《昭和四二年の第一国特許出願に係る引用例》に示されているような形で、クローラ式では引用例1の従来例図面1、2に示されているような形で、両者を平行して)長年に亘り実施してきており、それら走行装置が、本件発明の特許出願時(昭和五〇年一二月一八日)までに置換転用がされたということもないのである。

判決は本件発明の効果は引用例1に引用例2を適用して、本件発明の構成とすることにより、当然に予測されるというが、上述のように、引用例1、2の個々においてさえ排土性が良くなるという効果を予測させるものが何もないのに、それら両者の構成部分の組合わせで、かかる効果が予測されるはずはないのである。

六、なお、本件発明がいかに進歩性を有し、如何に産業の発達に寄与したものであるかは、わが国で製造されるクローラ車両の走行装置の大半が本件発明の内容で実施されるにいたったことや(世界各国においても同様)、本件発明の開発について第20回機械振興協会賞(昭和六〇年)を本件発明の特許出願人が受賞したことからも明らかである。ただし、本件発明の特許出願人は多額の開発費と事業化リスクを負って本件発明の事業化に成功したのであるが、開発の成功を見た本件出願人よりはるかに企業規模・体力の大きい多くの企業がこれを模倣事業化し、その結果、過当競争が生じ、事業設備などの面で十分な投資余力のない本件出願人は約一〇年間(昭和五四年から平成二年まで)の赤字事業の継続を余儀なくされたのである。このように本件発明が、無断で多数の企業によって商業的に模倣実施されたのは、本件発明の進歩性がいかに大なるものであるかを裏付けるものである。しかるに、このような本件特許発明を、排土性について何等の示唆すらない引用例1、2から容易に発明できたものとして、これを無効とする原審認定は、まじめな勤労者の開発意欲を喪失せしめ、労せず他人のアイデアから果実を収穫することを是認するものであり、特許法の立法精神からも、特許法第二九条二項の適用解釈を誤ったものと言わざるをえないのである。

以上のとおり、原判決は原審において原告(上告人)が主張した取消事由について、経験則に反する認定をして、結局本件発明が、引用例1、2から当業者が容易に発明しうるものであると認定していることは特許法第二九条二項の解釈を誤ったものであり、それにより原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるから破棄を免れないものである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例